■参考資料
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内外通信資料、内外通信 |
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月刊「北韓研究」、北韓研究所 |
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「北朝鮮の国防計画決定体系」、統一研究院 |
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「金正日の軍事権力基盤」、統一研究院 |
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「北韓軍事論」、北韓研究所 |
■人民武力部の人民武力省への改編
北朝鮮の人民武力部は、韓国の国防部に該当する機関である。北朝鮮の建軍当時の1948年には、人民武力部ではなく、民族保衛省という名前で設置されたが、1972年、人民武力部に改編された。
人民武力部長といえば思い浮かぶ名前は、正に北朝鮮政権の第3因子だった呉振宇である。彼は、76年以来20年近く人民武力部長職を過ごした。呉振宇が95年に死亡した後、人民武力部長に任命されたのは、当時総参謀長だった崔光元帥だった。しかし、彼すら97年に死亡した。北朝鮮軍部の代表者が
年を継いで死亡するや、韓米両国情報機関では、果たして誰が後任人民武力部長に任命されるのか関心を集中した。
1998年9月、北朝鮮は、人民武力部を人民武力省に名称を変更した。これと同時に、人民武力部第1副部長である金鎰侮汾モ改編された人民武力省の長に任命した。事実、金鎰侮汾モフ人民武力相任命は、以外だと言える。
それでもまだマスコミにおいてこの問題に対する本格的な解析記事がないことから、公開資料を基礎にそれなりに分析してみる。
■呉振宇、崔光に及ぶ者は誰なのか?
崔光の死亡以後、各国の北朝鮮専門家は、護衛司令官李乙雪元帥、人民武力部総政治局長趙明録次帥、人民武力部総参謀長金英春次帥の3名を最も有力な次期人民武力部長と予測したことがある。この外に、他の次帥級人士達も人民武力部長の候補として検討
してみたが、その可能性をそんなに高くは見なかった。その上、海軍出身である金鎰侮汾モフ人民武力部相任務の可能性は、真摯に考慮したことがほとんどなかったと言える。
北朝鮮人民軍の場合、統合軍体制であることから、地上、海、空軍間の転軍が比較的有り触れたことである。例を取ると、前人民武力部長崔光、総政治局長趙明録、前総参謀長呉克烈等は、空軍と地上軍を行き来した経歴を持っている。しかし、空軍と異なり、海軍の場合、転軍も
滅多にないのみならず、海軍出身中に人民軍指揮首脳部に進入した場合が希な方である。その上、金鎰浮ヘ、軍生活を始めて以来、専ら海軍でのみ軍生活を継続した正統海軍派と言える。このため、海軍司令官だった金鎰舞蜿ォが97年次帥昇進と同時に、金光鎮次帥の後任として人民武力部第1副部長(国防部次官に該当)に任命されたのも、多少異例的な
ことと受け取られていた。ところが、彼が人民武力相に任命されたのである。当時、一角では、金鎰浮ェ第1副部長に任命されたことが、北朝鮮が海軍を重視する
徴候ではないかという分析もあった。しかし、金鎰浮ェ人民武力相にまで任命された以上、既存の分析を再検討してみる必要があるようである。
■意外の人物金鎰
新任人民武力相金鎰浮ヘ、前任人民武力部長崔光死亡時、葬礼委員序列49位に過ぎなかった。そのような彼が事実上北朝鮮権力序列3位(金日成が死亡した現在は、権力序列2位)の重責である人民武力相に任命されたのである。解釈は、2つが可能である。1つ目は、金鎰浮ェ
意外に隠れた北朝鮮軍部の実勢という解釈である。2つ目は、人民武力相の位相に変化が生じたという仮定である。
金鎰浮ェ海軍出身としては、異例的に次帥に昇進し、人民武力部第1副部長に引き続き、人民武力相に任命されたこと自体が金正日の信任を反映するという解釈が可能である。しかし、今まで公開された各種資料を検討してみれば、金正日が総参謀長金英春次帥、作戦局長金明国大将等を
寵愛した痕跡は発見できるが、金鎰浮ニ金正日との特別な連結環を発見するのは容易ではない。どう見ても、10余名を超える次帥中で、金鎰浮ェ際立つ要素は発見されていない。人民武力部長候補第2順位圏、第3順位圏に
留まっていた金鎰浮フ抜擢は、何か別の背景が作用したものと見る外ない。
■特異な国防委員会序列構造
金鎰浮フ人民武力相任命と同時に出て来た北朝鮮の発表内容を内外通信資料を基礎に見てみれば、多少特異な点1つを発見することができる。即ち、北朝鮮の最高国防指揮機構である国防委員会第1副委員長に趙明録次帥が任命された事実である。良く知られているように、国防委員会委員長は、金正日である。その次の序列に該当する国防委員会第1副委員長に金鎰浮ナはなく、趙明録が任命されたのである。金鎰浮ヘ、国防委員会では、趙明録より序列が劣る単純な「副委員長」に過ぎない。更に言えば、人民武力省内では、人民武力相金鎰浮ェ総政治局長趙明録より上級者だが、国防委員会内では、第1副委員長である趙明録が副委員長の金鎰浮謔闖繼猿メとなるのである。これは、金鎰浮フ人民武力相任命を解読できる1つのコードとなるものである。金鎰浮ニ趙明録のこのような序列体系をどのように解釈すべきなのか?
過去にも、人民武力部総政治局長を単純に人民武力部長の下級者と見るのは困難だった。共産圏特有の政治優先主義に従い、総政治局長は、強大な実権者だったためである。
その上、金日成、金正日に権力が集中した状態において、旧人民武力部長は、形式上下級者である総政治局長、総参謀長と同級の地位を有するという資料もあったためである。それにも拘らず、厳格な序列主義社会である共産圏国家において、総政治局長が上級者である人民武力相に先立つという転倒した序列体系は、特異なことが明らかである。
金鎰浮ェ海軍という点、革命2世代という彼の年配、国防委員会内での序列、人民武力省への名称改定等を総合的に考慮してみれば、どうしても、今回の人事は、金鎰浮フ抜擢という側面より、人民武力省とその長である人民武力相の位相低下として解釈するのがより容易のようである。
■海軍出身を抜擢した理由
万一、地上軍出身が人民武力相に任命される場合、金正日が適切に統制するのに手に余るくらい勢力が強くなり得る。過去、金日成の唯一体系に反発して粛清された民族保衛相金
昌鳳や、クーデターを企図して死亡した中国の国防部長林彪の場合
に見られるように、軍部の代表という席は、最高権力者には、相当負担となる職責である。このような人民武力相の席に地上軍出身将星を任命するよりは、海軍等、勢力が微々たる軍種出身者を任命するのが効果的な対策となり得る。その上、国防委員会内の序列を見れば、趙明録と金鎰浮ェ互いに相互牽制
するように、権力集中を防止しようとする金正日の意図を垣間見ることができる。人民武力省は、国防委員会の指揮監督を受けるが、その中での序列が劣る金鎰浮ヘ、たとえ人民武力相
だとしても勢力形成に障害を受ける外ない。
■中国国防部と類似した人民武力省
そのような側面において、今回の人民武力省への名称改編も、
それなりの意味付与が可能なようである。過去、民族保衛省は、独立部署ではなく、行政機関である内閣の傘下組織だった。それ以後、内閣が政務院に改編され、民族保衛省が人民武力部に各々改編される過程を経て、1980年頃から人民武力部は、中央人民委員会直属の独自的な機関となった。それ以後、1990年からは、国防委員会の直属機関となったことがある。
92年から人民武力部が政務院所属に復帰したという観測が暫く提起されたことがあるにはあったが、多数意見は、人民武力部は依然政務院所属ではないということだった。ところが、今回改編された名称である人民武力省は、
どうしても、内閣(政務院の改定名称)の構成機構というニュアンスを強く漂わせる。勿論、行政技術官僚に過ぎない内閣総理が人民武力省やその長である人民武力相を統制するとは期待できない。それにも拘らず、独立機構の正確が強かった人民武力部が内閣構成機構の性格を
漂わせる人民武力省に改編されたのは、人民武力省の位相低下を見せている証拠のようである。
その点において、今回の編制改編は、中国の軍事制度の影響を強く受けた感じを絶つことができない。中国の軍制上、中央軍委が最も核心的な影響を
発揮するが、中央軍委は、他ならぬ北朝鮮の国防委員会に相当する機構である。ところが、中国の国防部は、北朝鮮の旧人民武力部とは異なり、作戦実務上の最高指揮機構である総参謀部や軍内政治組織の指揮部である総政治局の上級機構ではない。中国国防部の長である国防部長は、行政機構である国務院の統制を受け、総参謀部と水平的な協調関係にある。この点において、今まで北朝鮮と中国の軍事制度は、
大きな差異点があった。
今回、総政治局長趙明録が人民武力相金鎰浮謔闕走h委員会内での序列が先立つのは、中国式軍事制度と比較してみると、一定の意味を発見することができる。他ならぬ人民武力省が中国の国防部の類似した位置に位相が低下したという結論が
正にそれである。更にいえば、旧人民武力部傘下機構だった総政治局、総参謀部等が、事実上人民武力省の管轄から外されたことを意味する。勿論、現在まで公開された資料は、内外通信資料が唯一であることから、このような推定は、推定にしか過ぎない。しかし、各種側面において、人民武力省の位相低下は
明らかだと自信をもって言える。
これと関連して、前北朝鮮軍上佐崔주활の証言内容も、意味深長である。韓国では、呉振宇人民武力部長を北朝鮮軍部の核心と考えるが、実際、呉振宇は、1日に僅か2時間程度勤務するだけで、具体的な軍事政策決定過程では、総政治局長、総参謀長3人が意見を
収斂して、金正日の最終指示を受けるだけということである。また、作戦指示を下す場合にも、金正日は、人民武力部長や総参謀長を経由せず、人民武力部総参謀部作戦局第2処に直接指示を
下してしまうという。北朝鮮において、実勢中の実勢だった呉振宇がこの程度だったならば、金鎰葡度の人物が北朝鮮軍部においてどの程度の影響力を行使するのかは自明のようである。
最終更新日:2003/06/28